4回目はドイツ大会 2006
なんとか年齢を重ね、小中高を経て大3。
サッカー部は高校で引退。
大学1年夏から育った地元チームの低学年チームのコーチとして活動。
なので、観るだけではなかったサッカーとの関わり。
観る方としては、2004年はじめからのバルサの怒涛の快進撃に魅せられてすっかりバルセロニスタに変貌。
リーガはWOWOWで、CLはスカパーで。
ランナーではなかったし、時間はたっぷりあったので、充実したバルセロニスタ生活。
東京のホームもほぼ毎試合行ってた。
ということで、バイトはしていたものの人生で一番時間があった。
なので、ワールドカップ観戦ドイツ旅行をやろうと思えばできたはずなんだけど、全くその発送はなかった。
今思えば絶好のチャンスだったのに。
バルサに夢中過ぎたからか。
海外にはバルセロナしか行ったことがなかったし、1回目ツアー、2,3回目留学だったので周遊経験がなく、他の国、都市には全く興味がなかった。
この大会、日本はワールドユース2位だった小野、高原、稲本達とその上の俊輔、中田達が年齢的にピークで、史上最強の日本代表と言われていた。
稲本、小野、中田、俊輔の黄金の中盤がジーコジャパンの代名詞。
そんな訳で期待値はものすごく高かったけど、蓋を開けてみるとグループリーグ敗退。
初戦のオーストラリア戦は幸先よく先制したもの終盤に崩れて3失点。
2戦目は、引き分けで崖っぷちに。
3戦目のブラジルには先制して希望が灯ったけど、実力の違いを見せつけれて4失点で惨敗。
そして、中田引退。
ブラジル戦は家で見ていて、見終わった後は2階の自分の部屋でなんかやってた。
すると、1階から中田引退だってよー という呼びかけが。
我が家に衝撃がはしる。
慌てて階段を降りてテレビを見る。
緊急特番。
OASISの WHATEVERと共に中田の軌跡が流れる。
試合は全然覚えてないけど、この出来事あまりにも印象的で。
だってまだ29歳だったし、ブラジル相手に一人だけ通用してたし。
あの名言に感化されて、旅に出なきゃということで、手始めに日本の広島、仙台、山形、海外はドイツへ。
バックパッカーデビュー。単純
中田引退の衝撃がなければ、旅行愛好家なっていなかったかも。
あとは、ブラジルですね。
2002のR3が進化してファンタスティック4へ。
ものすごい爆発力だ!ということで、優勝候補の一角だったんだけど、ガーナにベスト8で敗退。
レアルマドリー銀河系の失敗から学ばなかったのか。
バランスが肝心。
この大会で主役となるはずのロナウジーニョだったんだけど、鈍い輝きで終わってしまった。
そして、燃え尽きてしまったのか急速に輝きを失ってしまった。
短い夢だったなあ。
中田の引退とロナウジーニョ時代の終焉という悲しい2大出来事が個人的にこの大会のハイライトです。
続く